幼年期
『ダメ学生万歳!! ヽ( ̄. ̄)丿』なんて自分で言い出したのに、まだなんもエントリしてなかったわー。


勉強しなくても何とかなった中学時代に比べて、高校の頃は勉強しないなりの成績が目に見えて面白かった。
入学当初は上から数えられた成績がさがるさがるさがるさがる。
あっという間に下から数えた方が早くなったもんね♪


でも、現代国語だけは勉強しなくてもいい成績がとれた。
本を読んだり新聞を読んだりっていうのは、子供の頃から習慣になってたから、現国だけはなんとかなってたのよ。

私たちのコースは、現国と古文と漢文は別の先生による授業だったけれど、90分だか120分だかで国語としてまとめてテストが行われていたのねん。


テストの時だけね。
席も出席番号順に並ぶのね。
おいらのクラスは37人。
6列×6列余り1。
“わたなべるみ”は当然出席番号37番。
余り1がおいら。
いっちばん後ろの端っこでカンニングもできやしない (TeT)
しないけどー!


テストの結果が返ってくるときも、なんであれ、出席番号順なんだろうね。
いーーーーーっつも最後。
予防接種なんかの注射も最後。
音楽のテストでみんなの前で歌う時なんかに限って
「たまには出席番号が最後の人から行きましょうか?」
なんつって、不意打ち。
歌はうまいからいいんだけどね。フッ…


話がそれた。
中間だか期末だか忘れたが、高校一年の時のこと。


現国の先生がテストを返す前に
「最高得点は○○点(忘れたけど50〜60点)、最低は0点だ」
と、のたまった。

ぷぷぷ、0点ってどうやって取るんだよ…
誰か白紙で出したのか?

なーんて思ってる間にテストは一人ずつ返された。
出席番号順に呼ばれて前に取りに行く。
どうせいつも最後なので、ぼっけぇーーーーっとしとったんだがね。

36番のYちゃんが呼ばれて、次はおいらのはずが。



「以上!」



って、せんせーい!
わたち てすとかえしてもらってましぇーん。



???
と思っていると、
「自分の名前を書いていない人は0点に決まってるだろ。
 返してもらってない人は前に出てきなさい。」



……おいらかよ (TeT)



取りに行ってみると





What's my name???





と、書きかけの名前が……




3科目分の問題用紙と答案用紙がじゃんじゃか流れてくるので、名前を書いている途中で別のことに気がむいてしまったらしい。

ここまで書いてあるんだから私だって分かるじゃん!
気の合わない先生だと思ってたけど、みんなの前で馬鹿にされたのが悔しくて大泣き。
結局謝ったんだか許してもらったんだか忘れたが、どこをどう考えても“1年T-1組37番の渡部ルミ”以外の誰のものでもないことは明白だったので、私の答案ということで返してもらった。



点数はクラスの最高点。



いっつも授業中に寝てるおいらが相当気に入らなかったんだろうね。

あー、思い出したら腹が立ってきた。


まぁまぁ、そんなわけで。
おいらはテストで最高点と最低点を同時に取るという偉業を成し遂げたわけです。



結局そのがっこも途中でやめちゃったんだけどねん♪


* ruminary at 2004年09月22日 20:43|PermalinkComments(15)TrackBack(1)
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実はおいらはトランペット吹きを生業としていたことがある。

無名のまま別の道を歩むこととなったが。

スノーボードを始める前のこと。

今となっては遠い過去のことである。




ここ数日、忘れていたいろいろな思い出が堰を切ったようにあふれてくるのは、そんちょさまの「演奏欲!」(⇒言戯)をはじめとした連日のエントリーによるものかもしれない。






なんつって。
ただ小学校の鼓笛隊でトランペットを吹いていたのを思い出したっていう話なんですがね。

今も運動会に向けて練習する音が聞こえます。
小学校はすぐ近くではないので小太鼓の音しか聞こえないですが、18年前の今頃は私もあの音の中にいたんだなぁ。

『聖者が街にやってくる』、『切手のない贈り物』なんかを演奏したような気がする。
でも、『聖者が街にやってくる』をひとりで吹いていたら、かっこよさそうなもんだが…



プァ〜〜〜 プゥ〜〜〜



って家でも練習してたから、ご近所さんも失笑してたことでしょう。


ひそかに難しかったのが校歌。
なんだかわからんが、おいらの出身校の校歌は小椋佳氏による作曲。
いきなり出だしに休符が入る校歌。



そう、それはまるで夢芝居。




ちゃ〜 ちゃららっちゃ ちゃららららっ ちゃっ ちゃ


♪ 恋の〜 か〜らくり〜 ゆ〜めしば〜い せり〜ふ〜 ひとつ忘れはしな〜いぃぃぃぃ

♪ 誰の〜 す〜じがき〜 は〜なぶた〜い

♪ 行く〜先〜は ♪りゅうがさき〜 にししょ〜が〜っこ〜



あーーーー、これ校歌知ってる人じゃないとギャップがわからんねぇ。
うちの小学校は甲子園も行ってないから、一部の人しか知らないよなぁ。
残念…


そんな校歌には、転校初日の始業式で全く歌えず泣きそうになった思い出もあります。
予習して初日から完璧に校歌を歌い上げる転校生ってのもどうかと思うが。




鼓笛隊の話に戻りまして。
翌年にはマイブラザーもトランペット担当に。

理由は「おねえちゃんがやってたから」

…せんせー、そんな理由で子供に楽器をおしつけないでくださーい。



そんなこんなで運動会。
ミヤプーはバトンガールだったそうじゃ。

あ、ちなみにミヤは6年生の時バトンガールでした。ポンポンもって踊ったりしました。曲名は・・・田原俊彦の「抱きしめてTONIGHT」!! 

ぶはははは、トシちゃんかい!

って笑ってたけど、思い出した。
うちらは学年ごとの全員でおどるダンス?が少年隊の「仮面舞踏会」だったよ!


いや、もちろん、体操服着てふつう?にぐるぐる踊ったんだけど。

かなりの人数の子供が、仮面をつけて校庭で踊っている姿を想像した方。

ごめんなさい。


* ruminary at 2004年09月15日 12:36|PermalinkComments(18)TrackBack(0)
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階段 今昔。上の写真は幼い頃。
元の写真が相当ピンボケです。
右が私で真ん中に弟、左は近所のおねえちゃん。
モンチッチ懐かしいですねぇ。
大きいもんちっちと小さいもんちっち持ってました。

この階段付近も20年も経つと変わるもんです。
階段下は物置になり、壁には大きな穴も開いています。

昨年秋、私はひどいめまいに悩まされ、立ち上がる度にくらっときてました。
ある日の夜中、布団に入りながらいんたーねっとしたあと、そろそろ寝ようかなと思い、階下のトイレに向かいました。
油断しきって立ち上がったので、階段の最上段でめまいに襲われてしまい、必死で空中をつかみつつしゃがんだのですが・・・
そのままおしりで階段を滑り落ち、直角に曲がるところで方向を変えられるはずもなく。
おでこと鼻から壁に突っ込んだようです。
気付けば顔と口から血を流し、玄関に倒れこんでいました・・・

木とかコンクリートの壁だったら、もっと痛かったでしょうねぇ。
おしりにできた赤紫の内出血は、1ヶ月くらい残っていました。
トレーニングしにジムに行っても、できるメニューが少なくなってしまって困りました。

* ruminary at 1974年01月01日 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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1974
生後1ヶ月位かしらん?
母方のおじいちゃんちで、上に写っているのはいとこのお姉ちゃんです。

残念ながらこの頃の記憶や思い出は残っていません。

* ruminary at 1974年01月01日 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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おめかしなにやら着飾っております。
3歳くらいかと思うんで、七五三かな?とも思ったのですが、冬物のブーツを履いています・・・
服を買ったので、とりあえず記念撮影とかって感じかな???

幼い頃は弟の方がかわいかったので、一瞬、弟かな?と思ったのですが、スカートをはいている様なので多分私です。

ずいぶんしゃれたお帽子をかぶっています。

* ruminary at 1974年01月01日 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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小学校入学あまりかわいくないのでどれが私かは伏せておきまする。

ほとんどの子達が中学も一緒だったので大体誰だかわかるけど、中には?な人もいました。

すぐ隣に写っている女の子に偶然会って、びっくりしたことがありました。
5年位前かなぁ、越後湯沢の神立高原スキー場の女子トイレでばったり。
私は仕事中だったのであまり話ができませんでしたが、あの時は驚いたー。

* ruminary at 1974年01月01日 00:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0)
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ねぐせ龍ケ崎保育所にはいりました。
ちゅうりっぷ組でした。
大統寺というお寺の中に保育所があったので、園庭と墓地がつながっていました。
砂場の後ろに墓石!みたいな。
ハンカチ落としとはないちもんめが好きだったことを覚えています。

* ruminary at 1974年01月01日 00:00|PermalinkComments(4)TrackBack(0)
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19761歳半の時に弟が生まれました。
今も住んでいるこの家に引っ越したのがこの頃です。
今となってはあちこちガタがきていますが、この頃は新築のピカピカだったことでしょう。

引っ越しや弟が生まれた記憶は残っていませんが、このソファーは小学生くらいまではあったような気がします。
弟をにミルクをあげているのは母親で私の後ろにいるのはおばです。
いとこは5月に生まれているので、おばはおそらく妊婦であろうと推測されます。

残念ながら?母もおばも今の私より年下です……

* ruminary at 1974年01月01日 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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フラミンゴ上野動物園かな?
フラミンゴといえば行川アイランド?
わかんないや。

フランスのモンペリエからスペインのバルセロナに行く電車から、野生?のフラミンゴが見えたらしい。
筑地りかプロは見たって。
私は爆睡してたから見れんかった。

生フラミンゴも生フラメンコも見てないよ。
生フラ、見たかったなぁ。

さるしかし、弟は靴下をはいているのに私は靴下を履いていないのはなぜだろうか・・・
お出かけの時くらいちゃんと靴下を履かせてあげてよ、かぁちゃん。

ぅーん・・・
猿山を夢中で見ているようだけど、おまぃらがサルじゃ!っつー感じがしないでもない。
そんなに大股広げたらパンつ丸見えだっつーの。

な、なんか靴下といい、柵にぶら下がっている姿といい……

* ruminary at 1974年01月01日 00:00|PermalinkComments(9)TrackBack(0)
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1975日付の記録はありませんが、三ヶ月を過ぎた頃でしょうか。
表情がだいぶ人間っぽくなっています。

「あー」
とか
「うー」
とか一日中ヒトリゴトを言っていたことでしょう。

残念ながらこの頃のヒトリゴトを記録したBlogなどは存在しておりません。

* ruminary at 1974年01月01日 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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